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6 ナスターシャの願い②

 どうして、ヒューネルはこの話を止めてくれたり、同行を申し出たりしてくれないのだろう。  俺はどうしてヒューネルのことばかり気にしているのだろう。これでは、まるで。  思い至りかけた結論を首を振って否定する。  いや、違う。ただヒューネルが訳が分からない態度ばかり取るから、そのせいだ。俺は決して。  ナスターシャのことよりもヒューネルのことで頭を悩ませるうちに、時間はあっという間に流れ、アルス国へ訪問する時が迫ってきていた。気持ちを切り替えて王宮へ向かいかけた時、ローンと手合わせをしているヒューネルの姿が見えた。  こちらに気付いてほしい反面、今目が合うのは怖いような気がして、相反する感情に戸惑いながら背中を見つめる。するとちょうどローンの剣を弾いたヒューネルが、恐らく何の気なしにこちらを振り向こうとした。  目が合う寸前、ぱっと顔を逸して王宮へ歩き始める。背中にヒューネルの視線を感じるのは、自分の願望だろう。  なぜ自分がそんな願望を抱くのか、その理由には気付きたくなかった。ヒューネルの気持ちが分からない今は、まだ。 「あ、エレン殿。ちょうど良かったです。今から王の元へ行かれるんですよね?」  王宮の出入り口にウィリアムがいて、声をかけられたことでもやもやとした思考が一旦取り払われる。 「は、はい。ウィリアム様もですか?」 「ウィリアムで構いませんよ。敬語も崩してもらった方がありがたいです」 「え、でも。私は単なる近衛騎士ですし、立場が全く違いますから」 「私は側近と言っても、そんな立派な家の出ではないので。それに、エレン殿とはもっと親しくなりたいのです」 「は、……はあ……」  屈託のない笑顔を向けられ、困惑する。ウィリアムとは当然今まで接点はなく、ここまで好かれるほどの出来事はなかったはずだ。  ヒューネルといい、ウィリアムといい、なぜ自分なんかをひと目で気に入ったのだろう。これまでも特に誰かに好かれた経験もなく、自分でも自分の外見はそこまで秀でたものではないと思っている。  するとその疑問が顔に出ていたのか、ウィリアムはくすりと笑う。 「私がなんでエレン殿にこんなに好意的なのか不思議なんですよね?」 「えっ、顔に出てましたか?」 「ええ。エレン殿は分かりやすいので」 「……っ、すみません」 「謝る必要はありませんよ。そうですね、理由というか、きっかけはありました。ある方がよくある絵本の話を昔からされていたんですが、その登場人物の一人がとても気に入っておられて……。というよりも、まるで恋をしているようでした。その話を聞いて、私もその登場人物が素敵だなと思うようになったんですが、そんな時にその方が、その登場人物に似た人を見かけたと言われて。それが、エレン殿、あなただったというわけです」 「私、ですか……」 「ええ、ですから私もエレン殿が気に入ったということです」 「あの、その方というのは……」 「あ、着きましたよ」  ちょうど謁見の間に辿り着いてしまい、ウィリアムの話が中断してしまう。  まさか、な。  微かな予感を抱いたが、謁見の間に入って王の御前に行った時には頭の片隅に追いやられた。 「エレン、よく来たな。今回は急な話ですまない」 「いえ。ナスターシャ様が私をお呼びだと伺ったのですが……」 「ああ、そのことだが、恐らく流石にいきなりそなたに求婚を迫ったりということはない……だろう。恐らくは」  恐らくを二回も言った上に、歯切れが悪い王の口調に嫌な予感がますます強まった。 「王様、もし私がそのような状況に置かれた場合は、いかがいたしましょう……?」 「その場合は」  王がちらりとウィリアムの方に目を向けると、ウィリアムが頷き返した。 「ウィリアムがなんとか取り計らってくれよう。そなたは心配せずともよい」 「なんとか、とおっしゃいますと……」 「アルス国では違うだろうが、幸いにして我が国では同性同士の結婚も許されておる。ウィリアムを許嫁として説明すればよかろう」 「え!?ウィリアム殿を、ですか?」  予想外の提案に目を白黒させる俺をよそに、ウィリアムはにこやかに頷き、王も頷いた。 「仕方あるまい。我が息子が適任かと思われたが、なぜか今回の件には首を縦に振らなかったらしいからな」 「え……」  その時、ウィリアムとヒューネルが話していた場面が頭に過る。あの時にこの話をしていたのだろうか。どうして、ヒューネルは。  暗い気持ちに沈みかけた時、正午の鐘が鳴り、否応なしに出発しなければならない時が来た。  ヒューネルが俺を好きだったのは、もう終わってしまったことなのかもしれない。いや、そもそもあれは全部、レオとして言った言葉だったし、嘘だったのかもしれない。  ヒューネル、どうして?  俺はどうしてこんなに苦しいんだろう。  泣きたくなるような気持ちを引きずったまま、俺はウィリアムと共にアルス国に辿り着いた。  俺はもしかしてこのまま、ヒューネルとは、もう。 「エレン殿、アルス王とナスターシャ王女がいらっしゃいました」  ウィリアムに耳打ちされ、心に燻っている想いを振り払おうと努めながら顔を上げる。アルス王の隣にいるナスターシャに目を向けると、艶やかな笑みを浮かべながら俺を見ていた。  美しい姫君だ。きっと大抵の男はナスターシャ様にこんな顔で見られたら、すぐに夢中になってしまうだろう。でも、俺は。  またヒューネルのことで悩みかけた思考を無理やり断ち切り、なんとかアルス王とナスターシャの話に集中しようと努めた。 「エレン、よくここに来てくださいました。本当は私からそちらに参るべきでしたが、どうしてもあなたと二人だけでお話をしたくて。少し、私と庭園を回っていただけるかしら」 「は、はい」 「ふふ、緊張しているのね。お父様、いいかしら?」 「よい、行ってきなさい」  笑顔のアルス王に見送られるまま、ナスターシャの後に従うようにして外に出る。 「エレン、私の隣を歩いて下さい」 「しかし……」 「私がそれでは話がしにくいので」  ナスターシャの言葉に納得し、隣に並び立つと、見事な庭園が視界に飛び込んできた。色とりどりのバラやチューリップ、ユリなどが咲き誇り、目を奪われるほど美しい。それだけでなく、庭園の中央に位置している噴水の水は透き通っていて、思わず手で触れたくなるほどだった。  しかし、見惚れながらも既視感のようなものを感じて首を捻る。どうにもリンディス国の王宮にある庭園と似ているような気がした。 「気がついたかしら?この庭園はね、あなたの国の庭園に真似ているんですよ」 「そうなんですね。なぜなんでしょう?」 「私が、お父様にそうしてほしいと頼み込んだのです。お父様はリンディス国を気に入っていらっしゃるから特に理由をお聞きになったりしませんでしたが、私はこの庭園に思い入れがあるのです」 「思い入れ、ですか?」 「ええ。幼い頃、私はお母様と共にリンディス国を訪れたことがあり、そこで一度ヒューネル様とお会いしたことがありました。実は恥ずかしい話ですが、私は昔、お転婆だったので、噴水に落ちて溺れかけたのです。その時に救ってくれたのがヒューネル様でした」  はにかみながら笑うナスターシャの頬が仄かな薄桃色に染まる。俺は半ば呆然としながら、ナスターシャが続ける言葉を聞いた。 「ヒューネル様は覚えていらっしゃらないみたいですが、私はその時のことが忘れられなくて、この庭園を作ってもらうことにしたのです。それで、私が今回エレンをお呼びしたのは、ヒューネル様との仲を取り持っていただけないかとお願いしたくて。駄目かしら?」  ナスターシャは完全に恋する乙女の顔をしていた。予想外の展開に、俺ははいともいいえとも言えず、小さく考えておきますと答えるのがやっとだった。

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