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狼が兎に恋する時②【兎視点】
それは、高校卒業を間近に控えた、少しだけ春の気配を感じることができる、暖かな日の事だった。
所謂仲良しグループでいつもみたいに放課後集まって、目的もなくダラダラと過ごす、一見無駄に見える時間。さっさと帰って、母親が作ってくれた夕飯を食べればいいのに……。
それでも、そんな時間が宝物だったんだって、今だから感じることができる。
もう、こんな無駄な時間を過ごすことは、なくなるんだから。
あっという間に過ぎて行った3年間。
今思えばあっという間だったけど、本当に楽しい毎日だった。
小学校からの幼馴染みである、生駒寛太 に榎本莉久 。宇野真大 と村上怜央 ……そして、俺、吉沢航 。
俺達は、毎日一緒に登校しては、放課後はランドセルを投げ捨てて暗くなるまで遊んでいた。
それから長い月日が流れても、ずっと一緒にいるのがあまり前のように、高校まで揃って同じ所に入学した。
高校へ行っても、それは変わらなかった。
たった1つの事を除いては……。
「もうすぐ高校生も終わりかぁ」
「本当だよな。これで俺らも本当にバラバラだ」
学年の中でも元気な生徒に分類される真大と怜央が、ジャングルジムの一番てっぺんで話しているのを、優等生な莉久が「うんうん」と聞いている。
「あー!ずっとこのまま、みんなでいたいねー!」
「だな」
怜央の叫びに、真大が賛同している。
でも、本当はみんなわかってるんだ。
もう、こんな風に一緒にはいられなくなることを。
それぞれが、夢に向かって別々の大学や専門学校に、進路が決まっていたから。
みんながワイワイやってるのを、遠目で眺めていれば、寛太がヒョイッと俺の顔を覗き込んだ。
「航は、いつ引っ越すの?」
「え?」
「関西に、引っ越すんだろう?」
「あ、うん。卒業式が終わって少ししたら、引っ越す予定だよ」
「そっか」
寛太が少しだけ寂しそうに俯いたような気がしたから、俺は少しだけドキドキしてしまう。
寂しい……そう思ってくれているのだろうか?
そう期待せずにはいられなかった。
いつからだろうか。気付いた時には、俺達はずっと5人で過ごしていた。それは、まるで兄弟のように。
これから先、生きて行く方向が少しずつ変わって行ったとしても、きっと完全に離れてしまうことはない。何やかんやで理由をつけては、こうやって時間を共有することだろう。
俺達5人は、趣味も好きな事も運動神経も成績も全然違う。
ましてや、性格なんて全く共通点さえないくらいだ。
いつも友達に囲まれて笑顔の耐えない真大に、人見知りだけど凄く優しい怜央。優等生でイケメンの莉久は女子からめちゃくちゃモテる。
寛太はずっとバスケ部に所属しているスポーツマンで、口が悪くて天の邪鬼だけど、みんなの人気者だ。
そして、何の取り柄もない普通男子の俺。
共通点なんてどこにもないのに、一緒にいる時の心地良さは抜群だった。
でも俺は、そんなみんなが大切にしてきた居場所を壊してしまうんじゃないか……って、ずっと怯えながら生きてきた。
いつからだろう。
もう、それすら覚えてないや。
本当に無意識のうちに。
砂時計の砂がサラサラと落ちて行くように……。
雲が青空をスイスイと流れて行くように……。
川が留まることなく上 から下 へと流れて行くように……。
俺は……。
寛太に、恋をしていた。
俺はゲイなんだろうか……とか、仮にゲイだとして、なんで4人もいる中で寛太だったんだろうか……なんて色々悩んだし、考えてもみたけど、そんな答えなど出るはずがなかった。
ただ、気付いた時には、もう後戻りが出来ないくらいに、狂おしいくらいに寛太にハマってしまっていた。
それでも、俺はこの友人関係を壊したくはなかったから、寛太への思いを心の奥底にある、パンドラの箱へとしまい込んだ。
その箱に鍵をかけて、更に鎖で雁字搦めにして……。
でも不思議なことに、ふと気付くと、いつの間にか隣で日向ぼっこをしている猫のように、知らぬ存ぜぬと言った顔をして再び俺の心の中に居座っているのだ。
春風を少しだけ含んだ温かい風が、俺の伸びた髪をサラサラと揺らした。
寛太のことを考えるだけで、胸がドキドキして顔が熱くなる。
火照った頬に、そんな風が気持ち良かった。
「お前、本当に猫みたいに柔らかい髪だな」
寛太がそんな俺の髪に、クルクルと指を巻き付けて遊び始める。
こいつは無意識にだろうけど、こうやって触られる度に、俺は胸がドキドキして仕方ない。
本当に止めて欲しい……俺だけこんなに意識して、ドキドキしてるなんて、ズルいって思う。
それに俺は知ってる。寛太は『α』だ。
寛太はスポーツ万能だし、成績も莉久程ではないにしても優秀だし、いつも友達の輪の中心にいる。
生まれ持ってのリーダー気質で、人を惹きつける何かを持っているのだ。
こんなに立派なαなら、きっと輝かしい将来が約束されているだろうし、さぞかし優秀なαと結ばれるに違いない。
なのに、俺は何も取り柄もない『Ω』だ。
どう見ても、釣り合うはずがない。
俺は、立派なパフェの上に乗せられたサクランボになる事すら叶わない。
こんな何の取り柄もないΩが、どんなに背伸びをしても吊り合わない存在。
そんなΩができる精一杯の強がりは、自分は『β』だって公言すること。
可もなく不可もない、空気みたいなβは、俺からしたら憧れの存在だった。
でもそろそろ、俺は寛太から逃げたいんだ。だから、父親の転勤を口実に、関西の大学へと進路を決めた。
光り輝く太陽も、勇ましい狼も、俺には眩し過ぎる存在で……手に入らない物を、手に入れたいと願い続ける位なら、俺はその前から姿を消したい。
だから、俺は、黙ってこの街を……みんなとの思い出がたくさん詰まったこの街を……もうすぐ出ていく。
臆病で、ちっぽけな兎は、逃げ出すことしかできないのだから。
それなのに……。
神様がそんな兎を哀れに思ったのか、とんでもないサプライズをくれたんだ。
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