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兎の儚き夢③【兎視点】

 俺は他のΩに比べたら、発情期(ヒート)の頻度も、症状そのものも軽い気がしていた。  普段飲んでいる薬に、ヤバいと感じた時だけ飲む頓服薬だけで、犯罪を招きかねない発情(ヒート)は回避することができていた。 「何かあったら、俺はお前の喉に噛みつくからな」  常日頃から、寛太(かんた)に言われているセリフ。  自分には、『お前と番の関係になる覚悟ができているんだ』って言いたいんだと思う。  ただ……未だに、俺は寛太と番になることを決心できずにいた。  だって寛太のこの先全ての人生を、俺に捧げさせることなんてできない。もしかしたら、色々なチャンスや可能性を奪ってしまうことになるかもしれない。  俺は、自分自身にそんな価値があるとは、到底思えなかったから……。  体を重ねてる最中に、寛太の唇が首に触れただけで全身に力が入り、咄嗟に手で首を隠してしまう。  そんな俺を見て、 「大丈夫、噛まねぇよ……」  って悲しそうに笑ってた。  その笑顔がいつも胸に突き刺さって、心が痛かった。  今日は、莉久(りく)の家に集合して、2人で缶詰になって卒業論文に取り組んでいた。なんやかんやで、もうすぐ大学生活も終わりを迎えようとしている。その一番の難関が、この卒業論文だった。 今週中に完成させなきゃいけない課題が、卒論を含め山積みになっている。 「一人で作業してると心が折れるから……」  と、よくみんなで集まって勉強をしていた。  寛太も、つきさっきまで一緒に卒論を書いていたけど、少し仮眠をとる……と、莉久の寝室に消えて行ってしまった。  俺もさすがに、疲れがたまってきて大きく伸びをした。  静まり返った室内に響き渡るキーボードを叩く音に、本をめくる音……頭が狂いそうになる。 「疲れたよーーー!!」  俺が泣き言を言えば、 「(わたる)はガキだな」  って莉久が笑った。  最近になり、どんどんイケメン化していく莉久……つい見惚れてしまうことさえある。  大学でも、きっとモテるんだろうなぁ……。  幼さが抜けて、大人びた雰囲気になった。  その瞬間……。  バクン、バクン、バクン………!!!! 「え?」  心臓が止まってしまうのでないか……と、恐怖を感じる程の拍動を感じ、思わず胸を鷲掴みにして身を丸くした。  胸が痛い……。  さ、酸素、酸素が吸えない……。  全身が熱く火照り出して、下半身が疼き始めた。  目の前に無数の火花が散り、何かが確実に自分に迫ってきている。  ……まさか、発情(ヒート)……?  嘘だ。だって薬はちゃんと飲んでるし、発情期(ヒート)になるまでには、まだ大分期間があるはずだ。  自分は発情(ヒート)そのものが軽い……そう決めつけていた、ツケが回ってきたような気がした。  寛太、寛太……助けて!!  体中の血液が燃えたぎり、それに耐えようと無意識に髪を掻きむしる。前回の発情(ヒート)とは比べものにならない程の、強烈な苦痛に欲情。  これが本物の発情(ヒート)なんだと思い知らされる。  とんでもない化け物だ!!  体中から溢れだした甘ったるいフェロモンの匂いが部屋中に充満し、自分でもむせ返りそうになる。 「ぐぁぁぁ……ハァハァ……グッ……!!」  俺は声を圧し殺し、体を丸めてその襲い来る激情に必死に耐える。  その時、必死にヒートと格闘していた俺を、温かいものが包み込んだ。 「え?莉久……?」  突然の行動にひどく戸惑ってしまい莉久を見上げる。 「…………!?」  その瞳の中には、初めて発情(ヒート)した時に、寛太の瞳の中で見つけた狼がいた。  発情しきった狼が、静かに自分を見つめている。その視線に、俺の背中をサッと恐怖が走り抜けた。 「莉久……お前まさか……α……?」  莉久を相手に感じる言い様のない恐怖に、全身がガタガタと震え出す。  親友だと思っていた莉久から向けられた、自分への色情を帯びた視線……明らかに莉久は俺に欲情している。  今、ちっぽけな兎は、一瞬にして狼に崖っぷちへと追い詰められたのだ。  「航……航……」  莉久が、歯を食い縛り俯いた後、涙を流しながら呟いた。 「航……お前Ωだったんだな?」  莉久の瞳からポロポロと涙が零れた。 「航、ごめん、ごめんなさい。もう……我慢できね……」 「う……そ……だろう……」  俺は、少しずつ理性を見失いつつある莉久に、正面から強く強く、抱き締めれた。

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