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白鳥の頸、黒い瞳

 白鳥に喩えたのは『妙』だった。  直に()った天川の肌は、若さもあってかひどく滑らかで、少女、に見えてしまうくらいの聖らかな薄膜(ヴェール)に包まれているかのようだった。  顎の(かたち)が無駄なく削がれ、染髪を感じさせない黒い繭のような髪が揺れる小さな頭を乗せた、長い頸の上、耳の下に小さな黒子が一つ浮かんでいて、それがひとに覚えず与える印象を何故か認めたくなくて、俺はそれを伏せた。 「…………天川透です」 「知ってる。若いからな。いきなりごめん。単純に、若くて親しみやすく感じて」 「……俺も知ってます。別の衛生係の(ひろ)さんが、物凄く良い男が入って来たって、興奮具合が尋常じゃなかったから。……気をつけた方が良いですよ」 「あ、そうなんだ……。良い人そうではあるけど、気をつけるよ……」  『(ねえ)さん』、と呼ばないと機嫌も待遇も悪くなる、中年男性でありながらな女性言葉を操り、食い気味に睫毛の多い目を見開きながら話し掛けてくる、角刈りの彼のことを思い返していた。  一度前へ逸らした睫毛は弧を描かず、す、と長かった。  そっともう一度こちらを見上げた瞳は、大きくはないが切れ長の黒目がちで、目尻がやや緩く垂れていた。 「……凄く体躯(ガタイ)が良いですよね。レンジャー部隊ですか」  え、とたまたま着ていたミリタリージャケットを見直して笑う。 「そんな訳ないよ。…………消防士をしていたんだ」 「へえ。凄い。街のヒーローじゃん。だからなんですね。いきなり衛生係になれたの。大学も、きっとエリートなんだろうな」 「大したことないよ。今のここでの俺には」  確かに名前を出せば知られている大学の出身で、衛生係は刑務官の補助(サポート)も兼ね、雑務上ある程度所内を自由に行き来することが出来るため、一定の学と品行方正さが求められていた。  だがそれを誇示する気は更々なかったし、大学を当然出ていないであろう彼に、それを口にするつもりもなかった。  非番の日に活動服を着ていないことに却って落ち着かず、職務に没頭していた日々だったが、もうそれも遠い。  (いとま)を見つけ、精神(こころ)も研がれるし体を動かすようにはしているが、現役時代のそれとは明白に筋質が落ちている。 『国民生活と安全を守ることを義務とする消防士たる者が、明確な殺意を持って無残にも被害者の命を奪取し、極めて悪質、道に外れた行い』  鬼の首を獲り晒す勢いで糾弾してきた検察側の言葉が、遠くを掠めた。  現に今、その糾弾の通りに死を求刑され、拘置所(ここ)にいる。    元より、子供や年若い者の未来(さき)への希望を感じさせる輝きが好きだった。  そんなもの、もう感じることはないと思っていたのに。  特に、ここではより一層そうであろう筈で。  不思議そうに見上げてくる天川の黒い瞳を見ていると、だがその時の輝きの片鱗を見つけているような気がした。  何度目かの意識の蓋をして、俺は天川を解放することにした。   「…………ごめん。そろそろ戻るよ。知り合いになってくれて、有難う。 でかい図体して、実は結構人見知りなんだ。……また、話し掛けてもいいかな」  縦幅がさほどない瞳がぽかんと開かれ、黒目がより強調し、潤みが増したようなさらに惹き込まれる印象を受けた。  じゃあ、と加えて、所内への芝を早足に踏み締める。  扉を開ける前に振り返ると、工場の壁際のその黒い瞳がまだこちらへ留まっていたので、閉める前に再度掌を上げてみせた。

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