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連なる歌への招待
既知の間柄となり、姿を見掛け会話が可能な状態なら立ち留まって二、三交わすようになったが、
敬語と砕けた口調が安定なく入り混じっていたり、天川の心への距離は、常に一定の既存の線 からその先を、進められない状態が続いているように思えた。
浅はかに趣味の遊興相手を求めていた訳ではない。
きっと、天川のそのこころがどんなものなのか、
一人でいる時の、どこかの空虚を見つめて佇んでいる姿、一体何を見ているのか、もしくは何も見ていないのか、
そのこころに抱えている暗部があるのなら知りたい、もう少し近づいてみたい、そう思える存在だったからだ。
だから俺は、頼まれもしないのに一歩踏み込んで、強引に『自分』を見せてみることにした。
「天川は、文系? 理系?」
「……頭が悪いから、どちらでもないです」
「そうかあ。子供の時、なぞなぞとか好きだった? 言葉遊びは?」
否定のない反応をして続きを待っているので、俺は内心の恥じらいを払い退けて、至って気軽な風で切り出してみた。
「実は俺、こう見えて詩 や短歌を詠むんだ」
見開かれたなかの黒い瞳が固まる。
だけど明かして時折見つける侮りは感じられなくて、安堵した。
「連歌って、知ってる?」
「レンガ……」
「豚さんが、狼から逃げるために家建てたやつじゃないぞ」
今度は明らかに呆れの視線で凄まれた。
天川は二十歳 を少し超えていて、三十ニの俺からしたらどうもこども 扱いを発揮してしまう対象になりがちで、反省した。
「複数で五七五と七七の句を続けて交互に詠み合うんだ。違う人が詠んでる内に趣きが変わったり、相手の心が解ったりして、楽しい」
「ふうん……」
「…………それ、やってみないか?」
「えっ?」
「俺が勝手に詠むのを聞いててくれても良いんだけどさ。出来たら、天川もその後に続いて何か詠んでくれたら、楽しいかなあと思って」
「出来ないですよ、俺、そんな高等なこと……っ」
「難しく考えなくて良いんだよ。俺もただ、思ったことをポエミーに言ってるだけなんだから。
喩えばさ、最近暑いだろ? 『プールにさ 入りたいんだ 本当は』でも良いんだ。プールだって、立派な季語だし」
「そんなので良いんですか……!?」
「良いんだよ。御作法なんかしたい人に任せて、何か思ったこと、口から詠めれば」
「…………じゃあ。『でも耳に水 入るのは嫌』、でも……?」
「凄い! もう七七で返せてる!」
「出来てるんですか、これ……」
「出来てるよ! 有難う、乗ってくれて。やっぱり天川が入ってくれると楽しいな。
そんな感じで、何か詠んだら、気が向いたら天川も詠んでくれ」
お題、考えとくと告げて、陽射しが鋭くなってきた屋外を駆けた。
振り返れば、やはり呆気にとられてぽかんと見開かれた泉みたいな黒瞳 が見送っている。
そろそろ庇がない所だと外での会話は厳しい。でもそれも、情感を詠むうえでの幾らでも種になりそうだった。
生きているだけで感じるもの。
コンクリートの袋小路に閉じ籠められ、きっと知らぬ間に退化して閉ざされた五感だ。
けれどそれでも感じる、
空気、ふと誰かが指すように降りてくる光、
風、匂い、土を踏み締めることの喜び。郷愁。
誰かといるだけで、ふとうまれる泡のような感情 。
ただ生きているだけで、身体の細胞がさざめき、全身で呼応するもの。
生きているだけで。
たとえそれが、束の間の赦しのひかりであったとしても。
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