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言のたま
普段、聞き役に回っていることが多かった彼の、瞳がふと問うように真っ直ぐに向けられていて、思わずとくりとした。
「…………奥さんとも、そういうやり取りするの?」
「え、そういう、って……?」
「だから……。歌の、やり取り……」
「ああ……、千景 とは、しないよ。俺がそういうのが好きなのは知ってるけど、恥ずかしいよ。面会で会って話はしてるしさ」
「ふうーん…………」
何か含みがあるように眉を上げた、横顔を向けていた。少し、珍しい表情だなと思ってそれを見る。
だけどそれがすぐ、頸を傾けて、若いのに妙に達観とした落ち着きのある眼差しを見せ、ほそめられた。
「……朔さんて、…………たいがい鈍いよね」
「えっ……!?」
以前から、少しづつだが気づいていて、大人しい、低温の小動物のような、野菊のようにひそやかさを纏っているのに、
たまに漏らす直球が、妙にがつんと来るんだよなと、その衝撃におののきながらも慌てて訊ねる。
「えっと、何か気に障る……、というかごめん、休憩の度に捕まえて、いい歳して歌とかお花畑なことばかり抜かして、そりゃあ迷惑顧みてなかったよな……!?」
「違うよ……。お花畑は、別にいいよ。奥さん、結構苦労したんじゃないの……? おんなごころが解らない、とかさ……」
「ええ……!? ……確かに、歌とかポエミーなこと語ってる割には、歌もそもそも大雑把で、人の機微には、疎いかも知れない……。
千景は、歳は一つしか上じゃないけど、凄くしっかりしてるから、転がされてる感じだったけど、そうだな、陽まりにもたまに、一緒になって『パパって、子どもねえ!』とか言われて、でも六歳の子に子どもねなんて言われても、それって、真に受けるものでもないよな……!?」
真剣に訊いたのに、天川は珍しく指で唇を押さえるように、小さく声をたてて笑っていた。
「真に受ける方のやつだよ。陽まりちゃん、きちんと解ってる」「ええ……!?」
ますます機微の不理解に混乱して焦っていると、天川の、いつも俺から繋ぐと怖じたように伏せられることの多かった黒い瞳が、
その時、確かなことだまを持って、彼から俺に指し示されていた。
唇も、もの言いたげだけど、伏せている。
愁いを帯びた瞳のゆらめきとともに、淡い、滲むような夕陽さながらの微笑みをひめて、佇んでいた。
こころが、また優しくしばられたようで。
刹那、かすかに揺れ動いた。
痺れるようで、だから、逸らせなかった。
俺と天川の視線が、瞳と瞳で、確としたこころの珠緒となって、一本に繋がり合っていた。
天川が、俺をそのようにもの言う瞳差しでつよく見つめたのは、多分、あの時きりだったかも知れない。
解放する、とでも言うばかりに、天川は俺から視線を下ろした。
中断してごめん。歌のいいところ、続けて。
伏せて微笑む天川の瞳に促されて、俺達はまた、いつものどかなやり取りへ引き返した。
歌の佳いところ。奥ゆかしくて、好ましいところ。
それを語った後、
『ふうーん…………』
また、何かを想うような、得たような、独りごちた吐息を漏らし、どこかを臨む天川の柔らかな横顔が、何故かいつまでも胸に残っていた。
歌は、文字にすると色々な意味が籠められる。
同じ読みで、意味の違う言葉。
言葉をほどかせて、その存在を散らばせる。
伝えたい言の魂 を織りこんで、その想いを、ひめてもこめる。
さくら見る
くる日を待つも
すこしづつ
きみとの時間 惜しくなりけり
天川の、詠んだ歌。
頭の文字を、縦に読む。
さ
く
す
き
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