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白い幹

 本当に、詰まるところはそこじゃないのか。  私でも解る。何てことはない、という平静をそのまま渡すようにして、兄の顔を覗き込んであげたら、 いつも凪のようにひっそりと静まっている、その一瞬の凪の後に、縦幅の狭い黒瞳がびっくりしたようにぱかっと見開かれて、 途端にみるみると目許から頬にかけてまさに紅梅のようないろの裾野が広がりはじめて、 顔の中の部位(パーツ)がしどろもどろに狼狽えているさまは、なかなかの見物(みもの)でした。 「なっ、……何を言うんだよ……っ……!」  思い出したように傍らの刑務官の方を気にして、仕事ですから、聞いてはいるのでしょうけど、 拘置所(そこ)の刑務官の方はいつも素知らぬような振りをしてくれて、私と兄の会話を遮ることは一度もありませんでした。 「……言うことなんか、何んにもないよ……! ば、馬鹿だなあ、何を言うっていうんだ。 もう少し気の利いた歌が詠めるようにとか、そんなことしか求められてないよ……っ」 「……そのひとも、聞いていて強引にその筋肉掴んで引き寄せでもしない限り、肝心なとこ、案外判ってくれてなそうな印象があるんだけど……」 「何がだよ! 失礼だな、仕方ないんだよ、そういうひとなんだから……っ。本当何言ってるんだよ、馬鹿だなあ、子供のくせに……っ」 「三歳しか違わないじゃない」 「幾つでも、言うことなんかないんだよ! もういいよこの話は、四月から三年だろ、くだらないところに関わってないで、油断しないで早く家帰って勉強しろよ!」  とりつく島もないほど追い払われてしまって、けれどその紅梅の動揺を追及するのも可哀相だったので、諦めを溜め息で締めて、お終いにしてあげました。  仕方ないのです。何せ、きっと生まれて初めて知った、 ——という感情(おもい)だったのだろうから。 「…………まあ、でも……」  帰り支度を始めている私に、その声が降ってきたので、顔を上げると、 何かをひめているように頬から唇に掛けてを掌に包んで頬杖をついている、そしてどこか、 置いてきた別の『場所』をなぞるようなやわらかな見据えをしている、兄の横顔が佇んでいました。 「俺も、 ——このままで終わるつもりはないよ…………」  続く漏らした言葉が、静かに沈んでいくそのかたちも見えるように、不思議とこちらの胸へも落ちていくようで。 「明日、桜咲きそうなんだ」  正面ばかりでなく、アクリル板の先に見た兄の(すがた)は、そういえば側面を向いたものもよく憶えをなしています。  白く、ほそいのだけど、その覆われた柔らかな皮膚は生命の芽吹きの結集のようなもので、 幹のような(かん)のなかを、当然その声明(いのち)を生かすために、血や、細胞や、兄を構築する総ての組織が、精命を()して躍動している。  そしてその熱い脈()ちに蓋をするように、清楚ともいえる小さな黒子が静かに浮かべられていて、 兄が控えめに微笑めば、それも綻ぶようにかたちを(ゆる)めるのでした。  兄が所内の様子をそうやって自ら切り出すのは、珍しいことでした。 「そうなの。桜、なかにもあるのね。お花見が、出来るのね、」 「…………」 「…………そのひとと?」 「えっ、……いや、うん……。たまたま……、……と言うか結構前から、一緒に見ようって、約束してて……。……だから」 「どっちよ。わあ、楽しみね! 今までそんなこと、言ったことなんかなかったのに。あ、桜を見ながら、やっぱり歌とか詠み合おうってこと?」 「それな……。もう、いい、見たままに、ぶっつけ本番で詠むから……」 「良いじゃないそれで! ……あ、そういえば本、沢山宅下げしてきたけど、良かったの……?」 「うん。もういいんだ。置ける数は限られてるし、お前も使うかも知れないし。 ——勉強になったよ。有難う。 また、良さそうなのがあったら教えてくれ」  年がまだ明けぬ頃から、兄は私が送っていた歌に関する教科書や書籍を、少しづつ自宅(こちら)へ下げていました。  ですから、その頃の兄の手許には、兄が歌詠みに関心を持っている、と判る痕跡は、もう殆ど残っていなかったのではと思います。  そして、何かをして欲しいと私に明白に頼んだのは、初めて歌のひとの存在を明かしたあの手紙の、その一回限りでした。  (こちら)からは想像もつかないほどの不自由や不満に囲まれていた筈で、もっと身勝手な要求や振る舞いを、してくれて構わなかったのに、 心許ない私を頼るあてにはしなかったと思いますが、 兄はいつだって控えめにその瞳を伏せて、身内でうねり迸っていたかも知れないあつい情動や希みを、朧いだ唇のうちに閉じていました。 「私のは、別であるからいいのに……」 「うん……。……それで、決まったのか。進路」  私には、私にも学びたい分野(こと)がその頃から深まっていて、兄には密かに打ち明けていました。 「……うん。やっぱり、…………京都の方へ」 「……ああ。……お祖父ちゃん達も、いるからな」  京都には、父方の祖父母が暮らしていて、事件以来、あちらの祖父母は可哀相なほどに身を縮こまらせてこちらとの連絡も絶っていたのですが、 私の進路を含めた希望もあって、母方(こちら)の強固な拒絶の殻は、少しずつ軟化の糸を解いていました。  時間(とき)は、確実に進みと融和の(きざ)しをもたらしていたのです。 「それで、それでね……」  もし、そこへ行くことが叶ったのなら。 「東京(ここ)を出て、ひとりで暮らそうかと思って…………」

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