92 / 96

温かい 実

   ……祝福だけじゃ。敬意だけじゃ、ないんだ。  純粋に、難しい綺麗事なんか取っ払って、 目を逸らせないしがらみや、面倒事なんかがあったとしても、 単純に、 ——でたまらないんだ。  それは、伝えたくてずっとあふれて仕方なかったけど、まだ、直接思いきり伝えるのは難しくて、……伝えてしまう心苦しさも燻っていて。  だけど、『これ』だけじゃないんだっていう想いに突き動かされて、 瞼に落とした唇を、頬にも、確かにもう大分になっていて、活き活きとした張りは削げている筈なのに、 ほわんと柔らかな雪みたいな、少年みたいな弾力を、意外にも返してきたそこへも、 少し(せわ)しくなってしまったけど、大急ぎと照れを優しくで何とか隠して、触れて、 開きかけた瞳が、少し驚いてくすぐったそうに揺れてしまったのが見えたから、やっぱりいたたまれなくなって、 そのひとの頸の根っこに、恥ずかしさから隠れて埋まった。  可笑しそうに綻ぶ吐息が、耳許に零れてくる。  顔を上げて。  そんな、言葉もないのに、優しい視線で囁かれた気がして、埋まっていた瞳を、そろそろとずり上げていったら、 前髪が、そのひとの指で梳かれたのだと思う。直ぐに、 温かい実が、額に、種を落とすようにふれて、 とろけた感触が、胸に瞬いて、消えて。  瞼に、頬に、彼に辿ったのをなぞるように、 魔法にでもかけてられていく心地で、自分にもそれが降りてきて、 また、昇っていってしまいそうだと瞳を閉じかけていたら、 仕上げに、鼻にもそれが優しく届いて。  甘い魔法の終わりみたいに、瞳を開けたら、 出会った時からずっと自分に魔法をかけ続けてきたそのひとは、 照れくさそうに、目尻をほんわり染めてはいるけれど、まるで樹齢、をも感じさせる深い眼差しが、 やっぱり大きな、おおらかなのにいつまでも少年みたいに弾ける笑顔に溶けていて、 この桜の樹みたいに、優しく、つよく、(しな)やかなその腕のなかに、もう一度閉じ籠めさせてくれた。  桃色の(かぐわ)しさがたちこめて。  自身の頬もこころも白桃で満開の、黒い髪の彼は、それは嬉しい。  それは嬉しい、けど。  腕のなかで、嫌がってはいないけど、昔からしばしば感じた不満そうな身の捩りが伝わった気がして、抱きしめる彼は首を傾げて覗きこむ。  出会った当初から、そんな調子によく(くる)まれていた。現実に、(とし)は離れていて、いまも、その間隔は見事に開け放たれてしまった。  包みこまれて、それ自体は凄く大好きで、けれど、 ぽんぽんと、頭や背を撫でられて、そのひとの、本当のこころへは、思い過ごしかも知れないけどはぐらかしを受けて、いつまでも届かせてはくれていない、ような。  さっきのも、……きっと『お返し』。  まるで悪意のない覗きこみから、動けない身体の視線だけを際限までずらす。  最後の、精一杯の抵抗と『怨み言』を、その切れ長の瞳と眉の顰めから示して、 けれど、目尻の(ふち)から広がる桜色の泉みたいな染まりからは、雄弁に彼の『()れ』が溢れでていた。 "——……子ども扱い、しないでよ……"

ともだちにシェアしよう!