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第十三話 光安《こうあん》
「光聖!光聖!」
清蓮は男に駆け寄って、強引に男の腕を引っ張ると、男は自らくるりと向きを変え、清蓮の真正面に見下ろす。
清蓮も光聖かと思い、見上げるが「あっ…!」と小さな驚きの声をあげたかと思うと、男の腕を離し一歩後退りした。
見透かしたような、切れ長の涼しげな目。
すっと伸びた鼻。艶のある唇。
男は両手を後ろに組み、たたえる笑顔は威厳の中にもどこか柔らかな面差しをしていて、長い黒髪も、その立ち姿も光聖そのものだ。
それでも清蓮は違うと、目の前にいる男は光聖ではなく、光聖とよく似た別の誰かであると直感した。
瓜二つだけど、違う…。
男から放たれる鋭気は光聖のそれをはるかに凌いでいる。
光聖よりも…強い。
でも、この男《ひと》…どこかで会ったことがある…。
清蓮は成人の儀で光聖に助けられた時、どこか懐かしいような、どこかで会ったことがあったような、そんな不思議な気持ちになったが、いまもあの時と似た感覚を覚えた。
男は清蓮の戸惑いにも似た表情を見透かしたように、「清蓮、久しいな」と、すっと手を伸ばし、清蓮の頬を軽くつまんだ。
その声は光聖よりも低く、自信に満ち溢れた声だ。
清蓮は昔、そうやって自分の頬を優しくつまみながら、自分に話しかける男がいたのを思い出した。
「あっ!も、もしかして…光安《こうあん》先生⁈」
清蓮は目が飛び出るのではないかと思うくらい、信じられないと目を見開き、口をあんぐり開けて、身動き取れない。
「思い出したか…、私のことを?」
光安先生と呼ばれた男は嬉しそうに、ほくそ笑む。
清蓮を見るその眼差しは、やはりどこか光聖に似ていて、清蓮は嬉しさと恥ずかしさで頬が薄紅色に染まってくる。
清蓮は恭しく一礼すると、
「はい。いま…、たったいま思い出しました、先生!こんなところでお会いするなんて‼︎先生、あぁ懐かしいです。こんなことってあるんでしょうか?先生、お元気でいらっしゃいましたか?私、高熱を出して以来修練場でのこと、ほとんど覚えていないのです。お世話になった先生のことも、今のいままで思い出せなかった…。お世話になったのに…。でもこうやって、お会いして…、先生のこと思い出しました!どうして思い出したんでしょう?なぜいままで思い出さなかったんでしょう?
先生は光聖とそっくりでいらっしゃるのに!」
清蓮は思わぬ再会に一体なにが起こっているのか理解できなかったが、この思いもよらぬ再会は、純粋に嬉しいものだった。
「先生、あれからもうだいぶ月日が経ちました。私が高熱を出して仙術を諦めた、あの日から…。
以前、友泉が修練場を訪ねたら、すべてが跡形もなく消えていたと話したのを聞いて、心配していたんです。お礼を述べたかったのに、連絡を取ろうにも手段がなくて。あんなにお世話になったのに…。でもどうしてここにいらっしゃるのです、先生?」
清蓮は込み上げる思いに言葉が追いつかず、話がしっちゃかめっちゃかだ。
おまけに捲《まく》し立てるようにして話したため、最後はむせこんでしまう。
「ほらほら、落ち着いて。君は興奮すると、急に饒舌になるのだから」
光安と呼ばれた男は、清蓮の背中を優しく摩ってやると、背中から温かな波が清蓮の体を覆い、あっという間にむせも落ち着く。
興奮も引き潮の如く引いていき、いつもの穏やかな清蓮に戻った。
「はい…、先生。ありがとうございます」
清蓮は取り乱したことを恥じたが、それも仕方ない。
ここで仙術の師匠に会えるとは思いもよらなかったのだから。
「先生。こうやってお会いできたのはとても嬉しいです。たくさんお話ししたいことあるんです。また機会があったら、仙術を学びたいと思っていたんです。ですが…」
「知っているよ。私が倫寧に君をここに案内するよう伝えたのだからね。君の目的は光聖だろう?」
清蓮は静かに頷く。
「会わせてあげられるものなら、そうしたいのだがね…」
「…それはどういうことですか?」
「彼はもうすぐいなくなる」
「…そんなばかな!」
清蓮ははっきりと言い切る。
清蓮は師匠がそんなこと言うはずもないと信じて疑わない。
「なぜそう思う?」
「だって…、光聖は無事だと思うからです。彼は人智を超えた存在でしょう?だから絶対大丈夫だし、もういないなんてこと…考えられない‼︎」
「…そうだね。光聖が人智を超えた存在であることは間違いない。だが、彼はまだ完全ではない、完全ではなかったのだよ。君は…、光聖がどんな目にあってもなんともないと言い切れるのかい?君は自分が受けた傷の重さを、痛さを覚えているだろう?彼がそれに耐えきれなかったら…消えてなくなるのは当然だろう?」
光安先生はなにを言っているのだ⁈
清蓮は頭が真っ白になり、自分を支える足はその役目を突如放棄したかのように、力をなくし、清蓮は膝から崩れ落ちる。
「消えた…⁈なにをおっしゃっているのですか⁈この間、光聖が私の胸の傷を治してくれた時、彼の胸にも同じ傷がありました。でもすぐに消えたんです。だから今度だって…、彼が傷を負ったとしても…、彼は大丈夫でしょう!あの時より酷いことになったてたのはわかっています。私自身、死んだと思っていましたから。でも私はこうして生きている。だから光聖も…」
清蓮は胸を抉《えぐ》られるような強烈な痛みを覚えた。
女に腹を刺された時も、来死鳥に肉を啄《ついば》まれた時も痛くて痛くてたまらなかった。
それでも、いま清蓮の胸に迫る痛みに比べたら、たいしたことはない。
清蓮ははらはらと涙を流し始めた。
もう泣かないと決めたのに、清蓮には自らの気持ちを抑えることなど、もうできない。
頬をつたう大粒の涙は、金剛石の煌めきに似て、儚くも美しい。
清蓮は光安を見上げ、悲痛な声で訴える。
「でも、光聖なら…、あなた達なら大丈夫なんでしょう?先生!あなたは…、光聖は…白神様なんでしょう?」
清蓮は言葉に詰まりながら、やっとの思いで言葉を紡いでいく。
光安は清蓮を見下ろしながら、
「だとしたらなんだと言うのだ?だからなんだと言うのだ?光聖はもうすぐ消えていなくなるのだ!」
光安は声はいたって平静だが、清蓮は光安の最後の言葉を聞いて、わなわなと震えだし、小さく「嘘だ…。嘘だ…」と全力で否定しようとした。
「清蓮。たとえ私たちが神であろうと、一人の人間にそれだけのことをしてやる義理はないのだよ。
そんなことをしていたら、身がもたないからね。それでも光聖は君を助けたかったのだろう」
光安はため息をついて首を左右に振る。
「それが光聖の望みなら、それでいいだろう。私はなにも言わない。彼がその身を滅ぼしたとしても、それは彼の力が及ばなかっただけのことだ。それくらいで消えてしまうのなら、初めから神と崇められる資格はなかっただけのことだ。だが、君はどうだ?君は光聖になにをした?君は光聖の献身に何をもって返したと言うのだ?」
清蓮は光安の言葉一つ一つが刀となって、突き刺さる。
泣いて訴えた時の胸の痛みに、さらなる痛みが加わって、清蓮は生きた心地がしなかった。
私はいつも光聖に助けてもらうばかりで、彼に感謝こそすれ、なに一つ彼のためにしていない。
光安はそう言いたいのだ。
「私は…、私は…」
清蓮は光安に抱き縋りながら、なりふりかまわずに、
「光安先生…、光安先生!私、なんでもします!光安先生、教えてください!なんでもしますから‼︎私はどうなったっていい!彼は私のためにひどい目に遭う必要などないんです!私のために…」
「そうか…。ならばどうなってもいいのだな?死んでもかまわないのだな?」
清蓮は光安の衣を掴んだまま、何度も頷く。
「かまわない!それで光聖が元の姿に戻ってくれるのなら…。私は…私の命を…、私の命をお返しします!光聖がくれたこの命を、この命を…光聖に、あなたにお返しします‼︎お返しします‼︎だから…、だから…お願いだから…」
清蓮は地にひれ伏したまま、涙ながらに光安に祈るように懇願する。
なりふり構わぬ姿は、尊き皇太子・清蓮ではなかった。
人はなす術を失った時、それでも最後、残されたただ一つのできることとして、神に祈りを捧げるのだろう。
光安はため息をつき、哀れな清蓮に聞こえないほどの小さな声で、
「君たちは本当に困ったものだ…。二人とも同じことを言うとはな…」
光安はもう一度諦ため息をつくと、しゃがみ込んで、ひれ伏す清蓮の肩を優しく揺らす。
「清蓮、顔をあげなさい。そんな泣き腫らした顔をしていたら、光聖も驚いてしまうだろう?」
「…?」
光安は美しい指先で清蓮の涙でぐしゃぐしゃになった顔をくいっと持ち上げ、もう片方の指で涙を拭いとる。
「清蓮…。光聖はいなくなってはいないよ。君を…、ちょっと試してみただけだ、許せ。あとでちゃんと会わせてあげるから。」
「先生…、光安先生…。」
清蓮は光安の両腕をしかと掴み、また泣き出す。
光安は泣きじゃくる清蓮を子供をあやすように、よしよしと抱きしめる。
「あぁ、光聖…。こう…」
「清蓮、私の声が聞こえるかい?君は優しい子だね。昔からそうだった。光聖の良き兄で、良き理解者だった…。光聖も君に懐いて、君の言うことは素直に聞いていた」
清蓮は光聖が無事だとわかって、その喜びで彼は胸がいっぱいになり、光安が優しく語りかけても、耳に入ってこない。
光安は清蓮に何を言っても無駄とわかりつつ、
「君を困らせた詫びに、ちゃんと説明しよう」
光安は泣きじゃくる清蓮を椅子に座らせ、落ち着くのを待ってから、静かに語り始めた。
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