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8 離れられない二人②
その日の昼時、王宮の中からヒューネルとナスターシャが出てきて、二人で庭園を回る姿が遠目に見えた。仲睦まじげな様子にもやもやとした想いを抱えていると、耳元で囁かれる。
「気になりますか?」
「っ……ウィ、ウィリアム?」
ぱっと勢いよく振り返った拍子に、思った以上に近くにあったウィリアムの頬に唇が一瞬触れてしまう。
「あっ、ごめんなさ……」
「いえいえ、むしろ得した気分です」
「ウィリアム、俺は」
「黙って」
人差し指を唇に当てられ、口を噤んだ俺を見てウィリアムは微笑む。
「エレン殿が何を言おうとしたかは分かっています。でも、あなたのその言葉を聞く前に私から言わせて下さい。ヒューネル様とナスターシャ様の婚約の話がどうなっているのか、エレン殿は知りたくないですか?」
「っ……!」
はっとしてウィリアムを見ると、唇をゆっくりとなぞられた。
「キスをしてくれたら教えてあげます」
「そ、んなこと……」
動揺している俺を見て、ウィリアムはくすりと笑う。
「冗談です。エレン殿の反応が見たくてちょっと意地悪を言いました。まあ、私が教える話というのもエレン殿にとってはいい話ではないので、そんなもったいぶる必要はないんですけどね」
「……」
「今、想像したでしょう。ご想像通りです。ヒューネル様はナスターシャ様と婚約するおつもりです。ナスターシャ様もそれは喜ばれて、この後は急いでお父上にご報告に行かれるでしょう」
悪い予感が現実になろうとしている。俺は身を引き裂かれるような深い絶望に陥り、まともにものを考えられなくなる。
ウィリアムが何かの言葉を続けているが、何を言っているか理解できない。ただ呆然と立ち尽くす以外にできなくなった俺に、ウィリアムが近づいてくる。
ウィリアムの顔がこれ以上ないほど近づき、頭の片隅で鈍く警鐘が鳴る。避けなければいけないと分かっていても、上手く体を動かせない。
唇が触れ合う寸前、ふいにウィリアムが動きを止めて少し身を離し、俺の目元に触れる。それで自分が泣いていることに気がつき、ウィリアムの背後に何げなく視線を投じて目を開く。
いつの間にかヒューネルが近くに立っていて、俺と目が合うなり我に返った様子で、表情を険しくしながら近づいてきた。ウィリアムも俺の視線を追って気がついたらしく、振り返りかけたところで、ヒューネルに胸倉を掴まれる。
「何をしていた」
「何もしていませんよ」
「嘘をつけ」
今にも殴り飛ばしかねない気配を漂わせているヒューネルを前に、ウィリアムは少しも恐れずにおかしそうに笑う。
「レオ殿、あなたに私を止める資格はないんじゃないですか?」
「なんでそう言い切れる」
「なんでって、それはレオ殿がナスターシャ様を選んだからですよ。それ以上の理由がいりますか?」
ウィリアムの言葉を聞くなり、今度はヒューネルが笑い出した。。怪訝そうな顔をしたウィリアムに、ヒューネルは勝ち誇ったような顔をした。
「ウィリアム、君は勘違いしている」
「勘違い?」
「そうだ」
ウィリアムを突き飛ばすように放すと、ヒューネルは俺に横目で微笑みかけながら肩を抱いてきた。
「レ、レオ?」
「俺は父上とナスターシャ王女に、婚約の件はお断りと伝えた。他に大切な人がいながら、ナスターシャ王女を幸せにできないと。次期国王を継ぐかどうかは一旦保留となっているが、俺の弟に継がせることも検討している」
堂々と告げるヒューネルには、もう迷いや憂いの影はない。ウィリアムは一瞬呆気に取られたようだったが、にこりと笑みを浮かべた。
「そうですか。しかし、それでようやくスタートラインに立ったというだけですよ。私がエレン殿を諦めるかどうかは、その話とは関係ありませんからね」
俺を間に挟んで、ヒューネルとウィリアムが火花を散らせる。
なんでこうなったと思いつつも、隣にいるヒューネルの横顔を見て、俺は一人でそっと頬を緩ませた。
「ウィリアム様、陛下よりお呼び出しが。至急、謁見の間に来るようにとのことです」
王宮からの使いが現れたことで二人の争いは一時休戦し、ウィリアムは何度もこちらを振り返りながら立ち去る。ヒューネルはそれをしっしっと手で追い払った後、肩に回していた手を腰に移動させ、一層ぴったりと体を密着させてきた。
「レオ、ここは人目が」
周りなど気にせず、ただ庭園が見える位置を選んでいたせいか、王宮からも宿舎からも丸見え状態だ。離れようとするが、藻掻けば藻掻くだけますます離すまいと抱き込まれてしまう。
「レオ、離して……っ」
「ごめん、できない」
泣きそうな声を耳に吹き込まれたかと思うと、正面から腕の中に閉じ込められる。そうされてしまえば抵抗などできるはずがなく、ヒューネルの背中に腕を回して身を委ねる。
「やっと、こうして君を抱き締められた。ずっとこうしたかった」
心から安堵した声を出すヒューネルに、俺もほっと気が緩みかけたが、聞きたいことが山のようにあって、まだ気が抜けない。
「レオ、どうして急に婚約のこととか、断ることにしたの?昨日まで俺に冷たくしていたのに」
「もう君に嘘をつきたくなかったし、耐えられなかった。エレンがせっかく俺のことを好きになってくれたのに、これ以上嘘をついてエレンを傷つけたくなかった。それに、もう一つの件もどうせなら、君と一緒に……」
その時だった。まるでヒューネルの言葉を遮るように、頭の中に声が響いた。
「ならん!お前たちはまた繰り返すのか。何度も何度も、引き離そうとしてもこうなるならば、こうするしかあるまい」
どこか聞き覚えがある声がそう告げた途端、俺は酷い頭痛と眩暈を覚えて気が遠くなっていくのを感じた。
「エレン!……っく、何だ、これは……っ」
ヒューネルも呻き声を上げながら倒れていくのが微かに分かった。
「ヒューネ……」
「エレ、ン……」
互いに伸ばした指先が触れ合いそうで触れ合わない中、ついにふつりと意識が途絶えた。
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