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1 新しい団員

 また、俺は泣いていたのか……。  目覚めた途端、目尻から伝っていた涙に気が付き、指で拭いながら溜息をつく。泣きながら目を覚ますなんて子供みたいだと自分でも飽きれるが、幼い頃から繰り返していることで、もはや体に染み付いた習慣のようになっている。   何か嫌な夢を見たのだろうとは思うが、何故か肝心の夢の内容を毎回覚えておらず、ただとてつもない喪失感ばかりに襲われた。 「寂しいな……」  言葉にして、自分の両腕を抱くようにする。そうすれば少しは紛らわされるかと思ったが、かえって虚しさが募る一方だった。  もう一度溜息を溢し、ゆっくりと身を起こして出勤の準備に取り掛かろうとすると、ドアをノックする音が響いた。 「はい」 「エレン、ローン団長がお呼びだ。団長室に来るように、とのことだ」 「……はい、分かりました」  ドア越しのくぐもった声に応えると、微かな舌打ちと共に硬質な靴音が遠ざかっていく。  声で分かったが、今のはテラだろう。俺が頻繁に団長室に呼ばれるのは団長に目を掛けられているためだと勘違いされているせいか、どうやら俺を妬んでいるようだ。  テラ以外の団員も、そのことで俺をよく思わない人は結構いるが、テラほどあからさまな態度を出す者はいない。  だが、彼らは俺が団長に呼び出される本当の事情を知ったらどう思うのだろう。少なくとも妬みとは違うものに変わるだろうが、それとは異質の良くない感情を抱くのは間違いなかった。  鬱々とした気持ちを生唾と共に飲み下し、気合を入れ直して制服に着替えていく。赤と黄色の鮮やかで華々しい色合いは、ここリンディス国の国旗を元にしている。この服を身に着けることが決まった時の喜びはもう遠い彼方に行ってしまい、思い出すことも難しい。  俺はずしりと重く感じる制服を慣れた動作で身に纏うと、血色の悪い自分の顔を鏡でひと目見た後、自室を後にした。  ちょうど20年前の冬の朝、俺はリンディス国の片隅にある教会の前に捨てられていた。リンディス国ではどこもそうだが、教会は幸いにして孤児院と一緒になっていたため、俺はそのままその孤児院で育てられることになった。  子供たちの母親代わりとなるシスターは皆優しく、子供たちは時折喧嘩をすることはあっても、シスターに諭されることですぐに仲直りをした。毎日笑いが絶えず、本当の家族以上の強い絆がそこにはあった。そのため、孤児院にいる間はきっと誰一人として親がいないことを嘆いたり、惨めに思ったりする子はいなかったはずだ。  ただ一人、理由の分からない喪失感に悩まされている俺を除いて。  俺はきっと親のことを少し覚えていて、彼らを失ってしまったことから生まれる感情だろうと思いながら育った。  そんな中、俺はシスターから成人を迎えたら孤児院の外で生活していかないといけないことを聞かされ、働き口を探したところ、ちょうど国の近衛騎士団の団員募集のことを知った。孤児院出だということは隠した方がいいかもしれないとシスターから言われていたため、一般の家庭で育ったことを装って無事に入団試験に合格できた。  けれど、入団と共に団員の身辺調査も秘密裏に行われるらしく、俺の出自に関することはすぐに団長にバレてしまったのだ。  今までのことを思い返しながら歩いていると、いつの間にか団長室の目の前に辿り着いていた。息を吸い込み、扉をノックする。  返答は当然ながらない。団長より先に団員が挨拶をする習わしだ。 「エレンです。入ってもよろしいでしょうか」 「入れ」 「失礼します」  中から響いた低い声にぎゅっと心臓が握りつぶされるような気がしながら、それを表に出さないように取り繕って中に足を踏み入れていく。  ローンは団員に尊敬され、慕われることを好む一方で、恐れられることを酷く厭う。彼が恐れられるのは厳しい顔つきに加え、歴戦の果てに負った片目の傷のせいで、それを見て怯えられるのが嫌なのだと団員は皆思っている。  だが実際のところは、単に自分の顔を見て怯えるような弱い人間が嫌いなだけなのではないかと俺は思う。  窓際で外を眺めながら立っているローンは、俺がドアを閉める音を聞いても、しばらく身動ぎせず、一言も声を発しなかった。秒針が一周回るのをちらりと横目で見やり、こちらから聞くべきかと思いかけた時、ようやくローンが口を開いた。 「例の件だ。お前は特例で入団したが、俺はお前の出自がやはり相応しくないと思う。いや、出自がというよりも、お前がそれを偽って入団試験を受けたということの方がさらに悪い。俺の言いたいことは分かるな?」 「……はい。あの、特例というのは」 「そのことはいい。今はお前の退団について話している」 「はい。申し訳ありません」 「いちいち謝るな。お前のそういうところも俺を苛つかせていると分かっていてやっているのか?」 「いえ、決してそのような……」  振り返ったローンに鋭く睨まれ、目を逸らしそうになるのを必死で堪えて視線を受け止める。そうして数秒間見合った後、ようやくローンから視線を外してくれ、気付かれないように小さく息をつく。 「お前は単に他の働き口が見つからないから辞められないだけなんだろう。無理もない。その出自、いや、その嘘を平気でつくような誠実さの欠片もない……」  いつもの胃が痛くなるような嫌味を続けようとしたローンだったが、その時ふいに響いたノックの音に遮られた。ローンが苛立ち紛れに窓際の壁を殴りつける。  「……?」  いつもならば、用件があればすぐにドア越しに言ってくるはずだが、ドアの前に立った誰かの声はなかなか聞こえてこない。ローンも怪訝に思ったのだろう。ドアを睨みつけるように見て、額に青筋を立てながら何事か口走ろうとしたのだったが、ようやく聞こえてきた声に口を噤み、なぜか目を剥いた。 「ああ、俺から言わないといけなかったか。こほん。ローン団長、今日からお世話になるヒューネ……じゃなかった、レオです。開けてもよろしいでしょうか」  ドア越しでも耳に心地よく、澄んで張りのある声だった。ただ、新人にしては緊張感のない話し方に思わず噴き出しかけたのを堪える。  しかし、ローンの方はドアを凝視したまま固まっていた。 「………」 「団長?」  呼びかけられてようやく我に返ったのか、ローンは咳ばらいをし、いつもより強張った声で入れと告げる。 「……?」  不思議に思ううちにも、ドアの向こうからレオが現れた。すらりと背が高く、鍛え上げられた肉体が制服越しにも分かる。そして何よりも、凛々しい眉とバランスよくついた目鼻立ちは、はっと目を奪われるほどの男前だ。  思わず見つめてしまっていると、やや下を向いていたレオが目線を上げ、俺と目が合う。その瞬間、なぜか先ほどのローンのように目を見開いて固まる。かと思うと、今度はつかつかと物凄い勢いで俺の方に歩み寄ってきて。 「え?え?」  頭の上にいくつもの疑問符を浮かべる俺をよそに、レオは俺の両頬を両手で挟み、 「運命だ」  と言いながら、いきなり口付けてきた。それも、唇に。 「!?」  あまりの衝撃に思考が停止している間にも、レオは幾度も角度を変えて啄んできて、腰に腕まで回してぐっと抱き寄せてくる。 「ん、んぅ……っ」  な、にが起きてるんだ?  わけが分からないまま、レオの巧みなキスに頭がくらくらしてきた時、咳払いする声が耳に届いた。 「レオさ……。こほん。レオ、公衆の面前でいかがなものかと」  やけに丁寧なローンの言葉を聞き、ようやくレオは名残惜しげに俺から離れた。だが、片腕はしっかり俺の腰に回したままだ。 「ローン団長、俺はただのレオです」 「そう、だな。失礼」 「……?」  何やらローンと意味深な視線のやり取りをした後に、レオは俺の方に視線を転じた。 「それから」 「っ……」  俺の頬にちゅっと音を立てて口付けて、レオはさらにとんでもないことを口走った。 「この人は俺の運命の人だ。今改めて、俺の将来の花嫁になるのはこの人だと決めた。だからこういうことは堂々とする」  これで納得しただろうと言わんばかりに、もう一度顔を近付けてくるレオ。その唇が触れる寸前、俺の中で状況が許容量を超えたのか、ふっと意識が遠のいた。

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